Interview by 3LA
this interview was printed handmade papersheer included in compilation CD "ろくろ" released by 3LA >> bandcamp

Q : Yvonxheのメンバーは東京と大阪ですよね?結成の経緯について教えてください。

Shit-cho(Gt):僕が大阪に住んでいて、他のメンバーが東京です。YvonxheはボーカルのDie-zineとドラムのJirolianと僕の3人で、学生の時からの長い付き合いです。音楽の趣味が近いことは接近するきっかけではありましたが、音楽的志向は今や付随的なものになっている気もします。お互いが音楽から離れた姿を知っているのが僕たちの特徴かもしれません。2011年、僕がDie-zineのボロアパートに遊びに行って、酒を飲みながら彼のギターで「ブラックメタル調のリフ」を弾いて遊んでいるうちに、「ちょっと曲を作ってみるか」という話に広がったのが始まりです。大量のボツ曲を生みつつ、すぐにEPのリリースを行いました。ドラムは打ち込みにせず、Jirolianに頼んでみる事にしました。彼のドラミング以外に考えられなかったですね。

Jirolian(Dr): 昔から手数が多くて速いメタルが好きでしたが、Yvonxheに誘われた時は、仕事が忙しくて4、5年ドラムから離れていました。なので、ぶっつけ本番のレコーディングでは手足が石の様に全く動かなくて...。幸い、そのニュアンスが作品のチープな雰囲気に巧く貢献しました。しかし流石にこれはいけないと思って、練習を再開しましたね。まだまだ途上ですが。

Shit-cho : 仕事が忙しいのは知っていたし、あまり深く巻き込むのは良くないと思い、最初のEPでは僕とDie-zineの2人の「ブラックメタル・デュオ」と設定して、その後様子を見ながらJirolianもメンバーとして表記するようになりました。

Jirolian : そうそう、結成当初は、ライブはやらないと聞いていたんです。Shit-choは大阪だし、演奏はかなり直球だしエモーショナルなので、ライブで繋いでいくのはキツいと思って、乗り気じゃなかったんです。でも蓋を開けてみるとライブを結構やっています。ライブで演奏するのは良いものですね。

Q : 既に信頼関係が構築された上で結成されたのですね。アンダーグラウンドシーンでは、活動期間が長い程メンバーが流動的になる傾向は否めませんが、Yvonxheについては今後もこのメンバーで活動を続けていく確率が非常に高いなと思いましたが、どうでしょう。

Shit-cho : 互いにリスペクトしてるし、生活スタイルを知っている。無理はさせないし、独裁者もいない。この状況下でメンバーが変わることは考えられないですね。まあ、「今後変えるつもりです」と答えるバンドはいないでしょうけど。このメンバーで、この音を出すことに価値を見出しています。

Q : 収録されている楽曲は新曲ですか?これまでに発表されているアルバムやEPと比較すると、純ブラックメタルというよりは様々な要素を感じる楽曲です。D-beat、ブラストビート等もありますが、ヘヴィーメタル的でもあります。

Shit-cho : はい、新曲です。多くの楽曲は僕が大枠を作っていて、この曲もそうです。もともと僕は正統派メタルも好きだったので、どうしても「ヘビメタっぽさ」は出てしまうと思います。それを隠すつもりもありません。あまりにもヘビメタ過ぎる曲はボツにしますが。

Q : それをあえてYvonxheで展開するのも面白そうです。既に色々な要素が混在しているサウンドなので、受け入れられるのではないでしょうか?

Shit-cho:すみません、言葉選びを間違えました。単純にダサ過ぎる場合にボツにします(。笑)もし素晴らしいヘビメタ楽曲が出来れば、勿論Yvonxheの名前でリリースします。で、この曲ですが中間部のミドルパートなんかは完全にヘビメタですね。意識的なものではなく、結果的にこうなったものです。自分達で曲を作るんだから、自分達が好きな音を重ねようというのが基本的な立ち位置です。一方で、全ての曲に全ての音楽的背景を入れ込む事なんて出来ないですから、この曲の場合、その中でこれまであまり出てこなかった「ヘビメタ「」D-beat」が強く反映されたのだと考えています。確かに従来の曲と比べたら異質な印象もありますが、そもそも以前から「純ブラックメタル」ではなかったし、目指してもいなかったのも事実です。

Q : 1stアルバムまでは、楽曲、音像ともに「純ブラックメタル」な作品という評価が多いですが?

Shit-cho : 音像は純ブラックだったと思います。ただ、楽曲はどうかというと、実は「ハードコア寄り」だと言われた2ndEPとあまり変わっていないというのが僕の認識です。特段、作曲手法の変化や意識改革があった訳ではありません。マスタリングのやり方を変えてみただけです。恐らく2ndEPの音作りで1stアルバムの楽曲を再録したら、やはり「ハードコア寄り」という評価をされるでしょう。今の水谷さんの指摘は凄く興味深いです。「ブラックメタル」の普遍的な定義付けは非常に難しいと思っています。賛否あるでしょうが、やはり音像は大きな要素となるのでしょうね。

Jirolian : その時々の音楽的志向やアジリティが切り取られるものものが楽曲だと考えれば、この新曲はこれまでのYvonxheには無い軸を提示できていて、アグレッションが増加の一途であることを証明してくれている楽曲だと思っています。この曲をきっかけに、Yvonxheに興味を持ってもらえたら嬉しいです。

Q : 本作のコンピレーションは、ネオクラストやブラッケンドだと僕が感じたバンドを収録しています。そう呼ばれていなくても、クロスオーバーであったり、東京のメインストリームとは異なる文脈をつないでいるバンドも含んでいます。ブラックメタルというサタニズムと密接な関係があるこの音楽を、現代日本で鳴らす意義や、受け容れられる素地をどう考察していますか?

Jirolian:僕たちはブラックメタルというジャンルを形成した文脈とは少し遠い所で発生したバンドだと思います。オカルティックな所謂ブラックメタル思想はなくて、音像や記号として無機質にブラックメタルに触れ、興味を持ったという点で。そのようなバンドは近年多いようですが、既存の文脈を超越した遠慮の無さみたいなものがあって、その辺のニュアンスがネオクラストやブラッケンドのような特異な存在を生み出している気がします。ゲームの裏面みたいなエグい雰囲気ですね。

Shit-cho:サタニズムはサタンを崇拝する有神論的なスタンスと、サタンにすら捉われない無神論的なスタンスの2つに大きく分類されて、オカルティックでモチーフとして興味深いのは前者ですが、サタニズムを突き詰めると後者になると僕は考えています。何者かを信仰すること自体を放棄するものですから。平たく言えば自己至上主義で、悪魔に興味が無くとも、サタニストになり得るということです。2つのサタニズムの背景となる思想は密接に関係し合っている、という前提はありますが。現代日本の問題点なんて、みんな体感しているので細かくは言いませんが、閉塞感しか感じられないこの社会で、自分らしく生きるとか自己実現とかいう言葉はファンタジーに近い概念に変化している気がするんです。「それが社会というものである」となれば、もう出口はありません。なので、サタニストが精神安定の為に、一種の逃避手段として何らかの形で自己至上的サタニズムを表現し、鑑賞する事は、表現者にとっても鑑賞者にとっても大いに意義があることだと思っています。僕達はこんな音を出してますから、基本的にはネガティブなものをテーマにしていてます。ただし、創作活動は常に個人的なもので、例えば特定の社会問題を扱ったとしても、それは自分がその問題に関心を持った事が前提ですから、詰まる所「自分」を表現する手段という事になります。花や蝶の美しさや、恋愛を表現したいと思う事も有りうるという事です。まあ僕に関してそれは無いでしょうけど。自己至上主義はある意味「反体制的」ですが、その根底にある思考は、人類かくあるべしという体制的・思想的理想だけではなく、「俺はこうしたい」という欲求も多分に含まれてきます。高位なものだけではなく、生存欲求に毛の生えたような低位のものまで、幅広く。その欲求を一時的に音に変換して、擬似的に自己至上主義を実現する快感を求めること。それが現代日本におけるブラックメタルの存在意義です。ロックンロールやHIPHOP、或いは絵画や文学、映画といった創作活動全般が、そういう要素を含んでいると思います。それでも、日常に潜んでいる「究極のサタニズム」を、オカルティックなサタニズムという「記号」を利用して最も解りやすく表現できる手法がブラックメタルであり、世界地図の片 隅で今もひっそりと存在している理由だと考えています。



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